CD評/リサイタル評より

リサイタル評

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近藤伸子ピアノリサイタル - 20世紀のピアノ曲 IV (2008年10月)

音楽之友コンサート・ベスト10 (2008) に選ばれました.

音楽之友 2009年2月号 (長木誠司氏)



近藤伸子ピアノリサイタル - 20世紀のピアノ曲 IV (2008年10月)

-これをやった意義は大きい-

シュトックハウゼン(1928-2007)追悼として初期から晩年までピアノを伴う作品を聴く.近藤による詳細な解説と譜例付プログラムは読み応え充分.《ピアノ曲I~IV》(1952/53)はシュトックハウゼンに想いを捧げるように丁寧に演奏された.《自然の持続時間》(2005/06)より13,14,21は,21が日本初演でガムラン的響きが興味深い.《Tierkreis》(1975)はClに武田忠善を迎え星座に込められた音列からシュトックハウゼンの人間味が垣間見える温かな演奏.《ピアノ曲X》(1954)はすべてのパラメータに7を使った緻密なセリーで構成され,交錯するグリッサンドとクラスターや残響の微妙な表現も必要とする難曲.近藤は急速な流れを犠牲に対応する部分もあったが構造の見通しは良かった.後半はBrの松平敬を迎え《ルシファーの夢 ピアノ曲XIII》(1981)で玩具のミサイルを撃ったり,ピアノを叩いたりお尻を鍵盤にのせたり,凄まじい世界を展開.これをやった意義は大きい.

音楽現代 2009年1月号 (西耕一氏)



近藤伸子ピアノリサイタル - J.S.バッハ《パルティータ(全曲)》 (2007年10月)

Kondo Nobuko Plays Bach IV

-理想的とも思える素晴しい境地の演奏-

シュトックハウゼンのピアノ曲に関する論文と演奏によって博士号を取得している女史の、バッハ・リサイタルⅣを聴いた.このピアニストにあってはこれとは別に.「20世紀のピアノ曲」というシリーズも併行して展開している模様であるが,このことは当夜繰り広げられたいがにも“バロック音楽の精華”とでもいうぺき音楽世界をもたらした女史音楽観を具体的に,また如実に表わしているようで興味深い.そこには大バッハにいたる西洋音楽の歩みが彼に収斂され融合されたのちに完成された音楽的境地と,それから300年の音楽史的変性の後にたどりついた20世紀の音楽のあいだにある“純音楽”として共通する概念が見出される.“私(わたくし)的”な要素を極力排除した,音あるいは音組織の有機的関係によってのみ表される音響的な“美”が第一義として君臨し,それの波及の結果として聴く者の心に音楽的感興を喚起させるというアイロニー.

この夜演奏された作品は,J.S.バッハの6曲の《パルティータ》全曲,すなわちBWV825からBWV830であった.当時の楽器とは何の縁もないとさえ言える現代のフルコンサートのピアノで当時の音楽精神を具現させるには,何重もの障壁を乗りこえなければならないが(たとえばバロック的音響を具現させるには,当時とまったく異なる奏法をもってあたらなければならないことや,あくまでも実証主義的精神をもってのみ当時の豊かな人間性に通ずる表現が可能になることなど=これもアイロニーといえる),まさに理想的とも思える素晴しい境地の演奏に出会った思いである.

全曲をとおしての(露呈の不安もなく)まったくよどみなく十全に進行する音楽のなかでそれぞれの作品を形成する“フィギュア”の的確なアーティキュレーションとその整合性は,透徹する“音組織の緊張感”として,また固有の舞曲それぞれにおける豊かな呼吸のリズム表現は非の打ち所のないものとして会場に充満した.

さらに,装飾音の自由で多様性に富む絶妙な表現に言及したかったが紙数が尽きた.

ムジカノーヴァ 2008年1月号 (石川哲郎氏)



近藤伸子ピアノリサイタル - J.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集第2巻》 (2005年10月)

Kondo Nobuko Plays Bach III

-稀れに見る好演-

(前略) Kondo Nobuko Plays Bach IIIと題された当夜のリサイタルでは,J.S.バッハの《平均律クラヴィーア曲集第2巻》の全曲演奏が行われた.

充実した演奏会であった.近藤は,18世紀において実践されていた楽器の音響や,そこから生み出された響きのイメージを現代の楽器に再現しようと試みる一方で,こうした過去のイメージを超えて,近藤自身の表現と主張を重ね合わせていく.近藤はいわば自身のバッハの世界を,その指から紡ぎ出される音楽にたっぷりと注ぎ込み,過去のコピーでも,奇妙なモダニズムでもない,独自のバッハを作り上げていた.

彼女の演奏は,作品への単なる感情移入ではなく,かといって客観主義とされる淡白な演奏でもなく,彼女の主張が十分に感じられるものであった.それを実現させたのは,近藤の緻密な分析と飽くなき探究心であろう.演奏において,一つひとつの音のもつ「音の意志」をしっかり捉え,音の必然性を感じ取って,音の個々の役割を事細かに割り出し,ニュアンスを与えていた.打鍵におけるアタックの強度の微調整も,鋭い指先の感覚で弾き分けられ,音の芯を確実にとらえた演奏である.近藤のバッハには,華やかな美しさというよりも,むしろ品格を湛えたシンプルな美しさがある.仕事柄,ライヴでの《平均律》全曲演奏に接する機会も少なくないが,その中でも,当夜の近藤の演奏は稀にみる好演であった.

ムジカノーヴァ 2006年2月号 (道下京子氏)



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近藤伸子ピアノリサイタル (2004年1月)

-聴くものの心に素直に入り込んでくる温かさ-

(前略) 近藤伸子の音楽性は,聴くものの心に素直に入り込んでくるような温かさがある.知的なアプローチもさることながら,ピアノを鳴らすことよりもどのように響かせるかに重点が置かれ,弾き手が感じた心象風景がストレートに伝わってくる.

バッハの「音楽の捧げもの」からの「3声と6声のリチェルカーレ」は,深い楽曲分析とともに対位法のしなやかな扱いが味わい深く,丁寧な打鍵も表情豊かに輝く.仄かに暗澹さを示唆しながら,内省的な思索の中に一つの燈明をともすようなブラームスの「3つの間奏曲」も,心の動きを辿るようで滋味深い.ショパンの「ポロネーズ」では多少面白みに欠けるくらいはあったが,あくまでもしっとりした風趣で繊細な音像を確立したシューマンの「クライスレリアーナ」やラヴェルの「ラ・ヴァルス」など,その存在感のある弱音への拘りも魅力だった.

音楽の友 2004年3月号 (真嶋雄大氏)



-内省的に芸術の深みをみつめていく視線-

(前略) 近藤伸子は,積極的な現代曲への取り組みが評価される一方で,近年はバッハ作品の演奏でも高く評価されている.作品を外面からとらえることなく,むしろ作品の内面に深く自己の思惟を沈めていくタイプの演奏家である.そこから生まれる音楽は知的であり情感とのバランスが際立つ.

今回は,J.S.バッハの《音楽の捧げもの》(1747年)より《3声のリチェルカーレ》と《6声のリチェルカーレ》の2曲,ブラームス《3つの間奏曲》,それにショパン《幻想ポロネーズ》.後半がシューマンの《クライスレリアーナ》とラヴェルの《ラ・ヴァルス》.

バッハとブラームスには,この人の精神的な領域が強く反映されていたように思う.それは具体的な音の相貌や,演奏の貌でない.〈音楽〉という行為・存在へのみずからの問いかけか? 内省的に芸術の深みをみつめていく視線,その道程を感じさせた.第2部のシューマンは,この複雑な世界を難なく演奏して,聴衆の心をとらえる.そして《ラ・ヴァルス》は圧倒的.どんな難所でも決して生の音を出さない.こうしたある意味での理性の勝った現象に,反発する向きもあるかもしれない.だが,それはそれで良いと思う.それよりもこのピアニストが,さらにどんな世界を拓いていくか,そのことがもっと楽しみである.

ムジカノーヴァ 2004年4月号 (河原亨氏)



-充実した演奏で魅了-

(前略) 選曲にも興味深いものを感じたが,それぞれの曲の性格を的確に捉え,綿密に熟考を重ねた上でリサイタルに臨んでいるのが明確に伝わり,知的センスを滲ませる質の高い演奏を聴かせてくれた.

バッハでは,明瞭な音の粒子が際立ち,それぞれの曲の表情づけも素晴しかった.ブラームス,ショパン,いずれも多彩な音色を生み出し,表現の幅広さを実感.音楽的に充実した演奏が続き,あたたかく包み込む音の河に寄り添いながら,作品の世界を存分に楽しんだ

後半のシューマンも果敢に向き合い,終曲「ラ・ヴァルス」では,オーケストレーションの響きを見事に再現し,華やかで優雅な気分を満喫.会場を後にしても,心地よい余韻は途切れることなく心を満たし続けていた.寒さを吹き飛ばす,あたたかい感動に包まれるリサイタルだった.

ショパン 2004年5月号 (森川玲名氏)



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近藤伸子ピアノリサイタル - 20世紀のピアノ曲 III (2002年5月)

-ドラマティックなリサイタル-

近藤伸子のコンサートシリーズ「20世紀のピアノ曲」の第3回目.武満徹の作品を合間に入れてナンカロウやクセナキス,そしてシュトックハウゼンの作品が演奏された.難曲の間で,武満の神秘的な空間に身を委ねることができ,その点で緊張と弛緩のバランスが考慮されたプログラミングだったといえる.

調性が崩壊し,語法が拡散していった20世紀の作品に積極的な解釈と演奏を試みようという動きは,まだごく少数派にすぎない.そうしたなかで近藤の演奏は,作品の魅力と奥深さを全身で表現する意欲的なもの.

前半は音の重なりから生まれる空間を演出した武満徹《フォー・アウェイ》ではじまった.ナンカロウ《アーシュラのための2つのカノン》は抜群のリズム感と高度なテクニックが要求される作品.難易度の高さを感じさせず,コミカルな様相さえ呈した快演だった.武満徹《閉じた眼I》《閉じた眼II》の後は,クセナキス《エヴリアリ》.ピアニストを極限状態に追い込むような難易度の高い作品を,圧倒させるような集中力を保ちながらパワフルに演奏した

後半のシュトックハウゼン《ピアノ曲XIII 「ルシファーの夢」》は,オペラ《光》の抜粋のピアノ・ソロバージョン.ピアノの演奏のほかに口笛や台詞,ロケットの発射などのパフォーマンスを同時に要求させる.一人何役も荷を背負わせられながらも,ピアノ中心にすべての動きが一体化しており,30分以上の大曲が1幕完結の芝居のようにドラマティックにまとめあげられた.

ムジカノーヴァ 2002年9月号 (湯浅玲子氏)



近藤伸子ピアノリサイタル - J.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集第1巻》(2000年1月)

Kondo Nobuko Plays Bach II

-明晰なバッハ像-

ケージなど現代作曲家の作品にも積極的なとりくみをみせる近藤伸子が,バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」全曲によるリサイタルを開いた.没後250年に合わせたのかどうかはわからないが,前回も「ゴールトベルク」をとりあげており,バッハの古典は,現在このピアニストにとって最大の関心事のひとつであることは確かだろう.当時の音律や,それとかかわりの深い〈調性格論〉にも言及した曲目解説もユニークで説得力があり,これだけでも,演奏が確固たる解釈にもとづいていることが充分にうかがえる.実際に,プレリュード,フーガそれぞれに,バッハの時代の様式をふまえた演奏法や解釈がしっかりと伝わる演奏であり,過去のさまざまな解釈を洗い流したような,明晰でさわやかなバッハ像が浮かび上がった.

ノン・レガートを基調とした彼女の奏法そのものは,もちろん今では正統的なものだが,新鮮だったのはその細部にわたっての奏法である.たとえばある曲では8分音符ごとに切って奏したかと思えば,他ではもっと小さな16分音符の単位で粒だった音を立ち上がらせる,といったように,曲の拍子や主題の性格,テクスチュア,テンポの設定,といったあらゆる要素との兼ね合いから細やかに変化がつけられていく.主題と切っても切れない関係にある装飾音にも洗練された趣があり,新鮮さのなかに一定の節度というものが保たれている.

フーガでは,複雑な声部書法のなかから,主題がいつもくっきりと姿をあらわし,ポリフォニックな音のかけあいからは,フーガが本来もっている心地よい音の運動感覚が再現されていた.緻密な分析を基盤としながらも,生真面目さはなく,いつでも音楽が生き生きと躍動し,呼吸しているのが心地よく届く演奏であった.

第4番の五声のフーガや第8番の三声のフーガなどでみごとに山場をつくりながら,24曲を心にしっかりきざみつけた彼女の演奏には,一流のバッハ解釈が感じ取れた.今後もぜひ,バッハの作品をシリーズで続けていただきたい

ショパン 2000年3月号 (遠山菜穂美氏)



-24曲を大きく豊かに構築-

(前略) 前回のリサイタルではケージとバッハ(ゴルトベルク変奏曲)という意欲的なプログラムで臨んだというが,今回はバッハのみ.といっても《平均律クラヴィーア曲集》第1巻全24曲(休憩を挟んで前後に12曲ずつ)というのは,やはり並大抵ではない

第1番を速めのテンポでさらり弾き出す.フーガも淡々として気負いがない.第2番プレリュードもあっさりしてトッカータの風はさして強く吹かず,フーガは声部の出入りがくっきりとして力強い.第8番はアルペジオの応答の間が絶妙.後半中程で少々なかだるみのシーンもあったが終盤で盛り返し,なかでも第22番はプレリュードでシューベルトの先取りのようなロマンをゆったりと薫らせ,寂寥の林に分け入る風情のフーガともども絶品.

プレリュードとフーガのコントラストを明確にしつつ各曲のキャラクターを描きわけ,24曲のをひとつの作品として大きく豊かに構築していく.それに端麗なピアニズムで《平均律》をピアノで弾くことの喜びも感じられての,音楽性豊かな秀演であった

ムジカノーヴァ 2000年4月号 (壱岐邦雄氏)



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(いずれも出版社あるいは著者の承諾を得て転載しています)